米は輸出で5000円、日本人には125円の支援?農家が感じる“理不尽”の正体

【農家の本音】「非効率」って誰が決めた?財務省に“淘汰”される前に、伝えたいこと。

埼玉県でいちごを育てております、小さな家族経営の農家です。

ハウスの温度管理、天候への対応、病気や害虫の心配、朝5時から始まる収穫作業。決して派手ではありませんが、一つひとつ丁寧に育てた苺が、お客様の「おいしい!」に変わる。その瞬間に支えられながら、今日も畑に立っています。

そんな私ですが、先日ある動画を観て、胸の奥にどうしようもない怒りと虚しさが込み上げてきました。

輸出用のお米には1票あたり5,000円の補助金。
日本国内の消費者に向けて売るお米には、わずか125円の補助金。
しかも、その制度設計をしているのは財務省。

これは冗談でもなく、文字通り**「国が、農家に海外を向け」と言っている**に等しいのです。


■非効率な農家は淘汰されるべき?

動画では、「非効率な農家は潰れたらいい」といった発言や、「中小企業は生産性が低いからいらない」といった声が紹介されていました。
それを聞いて、私は呆然としました。

確かに、私たちのような小規模農家は、トラクターも小さい、ハウスの数も限られていて、大規模経営のような生産性はありません。
でも、それを理由に「淘汰されて当然」と言うのであれば、日本の農業は誰が守るんでしょうか?
地域の食文化、伝統、そして地元の雇用を担ってきた小さな農家たちが「非効率だから」というレッテルで切り捨てられていいわけがありません。

私たちが育てているのは、「作物」だけじゃありません。
それを囲んで生まれる「食卓の笑顔」や「地域の繋がり」も一緒に育てているんです。


■補助金の仕組みが農家を壊す

動画の中で明かされていた補助金制度の仕組み。
驚きました。いや、知ってはいたけど、ここまで露骨だったのかと。

輸出する米には手厚く、国内向けには冷たい。
それを設計しているのが財務省。
しかも、餌米(家畜用の米)に対しては、8万円という高額の助成が出る。

じゃあ、私たちが毎日必死に育てている食用の農産物には?
どれだけの支援があるのか。

私は苺農家なので、米農家とは事情が違う部分もありますが、**「国内市場より輸出市場を優遇する構造」**は、果実や野菜にも波及しています。

補助金が偏ることで、輸出に向かう農家が増え、結果として日本人が日本の農産物を買いづらくなる。
それはもう、「輸出しないと生き残れない農業」になりつつある証です。


■農協(JA)は悪なのか?

動画では「農協解体論」についても触れられていました。
農協が米価を釣り上げている、農家を非効率にしている、といった批判。

たしかに、農協にも課題はあります。
硬直した体制、非効率な流通、農家の自由な販路を縛るルール――そうした側面も確かに存在します。

・ハウスが台風で壊れたときの共済金
・病気が出たときの技術指導
・資材の共同購入によるコスト削減
・販売先とのマッチング

農協は完璧ではありません。でも、少なくとも私たちの“味方”です。
その農協を解体して、150兆円とも言われる資産を外資に流す――。
それが本当に、日本の未来のための政策でしょうか?


■効率だけでは語れない「食」の価値

「非効率」だから潰れていい。
「儲からない」から淘汰されるべき。

そういう声を聞くたびに、私はこう思います。

食べ物って、そんなに効率だけで語れるものなんですか?

たとえば、朝4時に起きて収穫した苺を、その日のうちに店頭に並べて、家族が囲む夕食のデザートになる。
その苺が、たとえスーパーで1パック500円だったとしても、その裏には何十時間という努力と、天候との闘いと、リスクと、情熱があるんです。

それを「非効率だから」という言葉一つで切り捨てられたら、農家は何のために作ればいいのでしょうか?

目次

■最後に:いちご農家の祈り

私は、小規模です。
非効率です。
農機具は10年以上使い続けた中古品。ハウスのビニールも、毎年張り替えられるわけじゃありません。
最新の栽培技術にも、十分には手が届かない。補助金があっても、事務作業が多すぎて申請すら追いつかないこともある。

でも、それでも私は、苺を作り続けています。
それは、お金のためだけじゃない。
手塩にかけて育てた苺を、お客さんが笑顔で頬張ってくれるあの瞬間――
「甘い!」「こんな苺、初めて食べたよ!」
そんな言葉が、疲れた心にじんわり染みわたるんです。

私の苺は、スーパーに並ぶどこにでもある苺と違うかもしれません。
でも、私の畑の苺には、季節の香りと、地域の土の味と、何より、私たちの毎日の祈りが詰まっています。

「効率が悪いから潰れていい」
そんな言葉で、この苺が、私の暮らしが、そして地域の農業が、切り捨てられてしまうなら――
それは、数字でしか物を見られない国の在り方そのものに、問いを投げかけたくなります。

農業とは、命をつなぐ仕事です。
人が人の手で育て、収穫し、誰かの命を支える――それが農家の本質です。

効率や利益ももちろん大事です。
でも、私たちが本当に守るべきものは、「誰が作り」「誰が食べるのか」という営みのリレーではないでしょうか。

人と人がつながる“食の距離”を、もっと近く。
誰かが苦しんで作った作物が、誰かの笑顔になる。
そんな当たり前を、数字ではなく「心」で支えられる社会であってほしいと、私は願っています。


🍓読んでくださった皆さまへ

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
これは、一人の苺農家としての、静かな怒りであり、そして未来への祈りです。

「非効率だから淘汰されて当然」――そんな風に農業を扱う国ではなく、
**「農業こそが、この国の根っこだ」**と胸を張れる日本であってほしい。

国がどう動こうと、補助金がどう変わろうと、
明日も私はハウスに行き、苺の様子を見て、水をやり、育てます。

土の香りと、朝露と、成長の気配に包まれながら、
「食べる人の笑顔を信じて」
私は今日も、この仕事を選び続けます。

🔗 参考元動画はこちら(YouTube)

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